手作り硝子 みしま風鈴

みしま風鈴の起源

みしま風鈴の起源は製作者でもある関根久雄が高価なワイングラスを壊してしまったことから始まる。

昔から三島にガラスを作る工場があったわけでもなく
ガラスを作る文化が根付いていたわけでもないが
1985年「ガラスを溶かす実験」を始めた事から
「みしま風鈴」が出来上がりました。

昔の人ができたのだから、出来ないはずはないと、思いながらも
設備も知識も何もない状態からのガラス製作は失敗の連続でした。
オートメーションで作られたような無機物のガラスではなく
まるで手を添えて作られたかのような日本で作られた昔のガラスにこだわり、
古代のガラス製品の復元や考察を繰り返しているうちに
ガラス調合や制作方法、道具、窯にいたるまで独学でガラス製作を覚えました。

失敗と成功を繰り返しながら10年が経とうとするころ、
郊外のショッピング施設が賑わいを集めると中心市街地の魅力も失われ、
商店街からは観光客の姿も遠のいている中で、個店が特色を持つ事で
「魅力のある三島」をPRできるのではないか思い

ガラスの透明感と三島の湧き水の清涼感を重ね
暑い夏に富士山のわき水が湧き出る街「三島」に訪れる方々に
夏の涼しい思い出を三島の土産としてもらおうと、
三島からみえる富士山や湧き水の中に咲く「三島梅花藻 ミシマバイカモ」を
デザインした風鈴や富士山の形をしたガラス風鈴を作り
リヤカーを屋台に改造し今の時代には目面しい「風鈴の引き売り」を始めた。
それが 「手作り硝子 みしま風鈴」のはじめです。

制作方法もガラスがあるから何か作ろうではなく、
「こんな作品を作りたい」その為に何が必要なのかを想定し
窯を作り、道具を作り、技術を修練していく
なんとも「復元」をしているかのようなガラス作りです。

日本に伝わる吹きガラスの製法をもとに、吹き型を使うことなく、
短い時間のあいだに竿の上げ下げ、
息使いの強弱のみでガラスを成形していきます。
すべてが感覚による作業なので
毎日同じ作業を何回でも同じ様にできる練習続けていますが、
まったく同じ型、同じ音色はなく、
そこがガラス本来の個性を引き出していると思います。

2010年に、みしま風鈴は「三島ブランド」に認定されました
定義としては
関根久雄が製作するガラス製風鈴を「みしま風鈴」とするとなっています。

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テーマの著者 Anders Norén