火山岩塊と火山礫

重い!
丸い火山弾

晴れていたのは最初の2時間だけ。山頂を目指して歩き始めたものの、体調がすぐれないので、同行者にはそのまま登っていただき、途中で単独下山。途中、軽い気持ちで宝永山の調査に向かう。
そして、俺はアリ地獄に嵌った蟻になったのだ。

宝永山は長い間、マグマによる隆起が唱えられていたが、近年の調査で火山砕屑物でできている事がわかっている。つまり、宝永山自体が火山灰の山という事なのだ。火山から噴出された固形物のうち、溶岩を含めないという点が重要なのだ。

その痕跡は宝永山東側、赤茶け切り立った軽石層の上に、玄武岩質で多孔質のスコリア。火山礫が降り積り、その上に粒の小さな火山灰が降り積もると言った形だ。
溶岩流の形跡は見られない。目の前にそびえる砂山。つまり、火口付近から這い出ようとしてもズルズルと滑り落ちてしまい、なかなか山頂まで辿り着かない。かなりの体力と精神力を削られてしまった。

火口本体は3つの火口からなり、直径は1000mを超え、富士山の火口よりも大きいのだ。古文書には宝永噴火は16日間続いたとあるので、宝永山はこの火口からの噴出物、16日間の降灰だけで出来上がったというから、相当な噴火であったのだろう。

ガラス作りの経験からすると、スコリアの形成には相当な水分量を、含んでいた事を想像することができる。

また、スコリアに混じって目につくのは、火山岩塊と火山弾である。同じフィールドにありながら、性質が全く違う石が形成されるところが面白い。

この様に密度が高く、丸い火山弾は表面張力が大きく影響する為、粘性と滞空時間がポイントとなる。
しかし、これほどまでに丸いのも珍しい。

火山から噴出された固形物から、溶岩除いたものを火山砕屑物(かざんさいせつぶつ)というのだが、64ミリメートル以上のものを火山岩塊、64-2ミリメートルのものを火山礫(かざんれき)、2ミリメートル以下のものを火山灰(かざんばい)という名で分類していて、また、気象庁では「大きな噴石」、「小さな噴石」と呼んでニュース等でも馴染みが深い。
宝永山の場合は溶岩流の流出はなく、爆発を伴う初期噴火に始まり、噴煙は上空20kmに昇り火山灰を降り注ぎながら、活発化して火山礫が降り積もったと思われる。
当然のことながら、軽い火山灰は偏西風によって遠くまで流れ、関東平野にまで降り注いだのだが、少し重さのある火山礫は火口東側に宝永山を生み出した。
ガラスなどでは溶融状態では粘性が高いほど伸長性に富むので大きな塊になりやすく、粘性が低いほど細かく切れやすいので、富士山本体と比べ、宝永山に降り積もった火山礫の大きさから考えると、比較的サラサラしているマグマだったと思われる。

また、火山礫は同じ成分でありながら、成因、色に違いがあるのは、マグマの中で結晶化とガラス化が流動的に存在していたためであろう。

噴火活動の初期段階では、シリカ(珪酸分)の多いマグマの上層部が噴出。マグマの中に微量に含まれる水分が、噴出と同時に減圧され、気泡となって膨張するため多孔質で白色の軽石になりやすい。
噴火活動が活性期になるとマグマ結晶化が進み、多孔質でありながら「スコリア」と呼ばれる少し硬めで暗い色になりやすい傾向にあるようだ。宝永山のマグマは鉄分を多く含み、同じスコリアでも、酸化状態にあるものは褐色に、還元状態にあるものは黒色と、2色のスコリアが同じ場所に混在する。

形状に関しては火口付近ほど球状のものが多く見られ、はっきりとして紡錘状のものは見つけられなかった。多分、飛翔角度によるものが大きく影響しているのだろう。
性質的には多孔質で軽いスコリアと対象的に、火山弾は重く、密度が高い。
同じように火口から噴出したものの、軽いものと重いものの差はどこから来るのであろう。と思っていたら面白い火山弾を発見した。
「あ、あった、あった、すてきだ。実にいゝ標本だね。火山弾の典型だ。」
昔読んだことのある、あの話が蘇る。
多分、硬質故に歪で割れてしまったのだろう。有り難いことに内部の状態が細かく見ることができた。
この火山弾は「つぶあんまんじゅう」のように形状を保ったままの核となる岩石があり、その周りを皮のように違う成分が覆っているのだ。想像なのだが、この火山弾は噴火と崩落を繰り返す火口で、少し冷えた岩塊の状態でマグマの中に再度落ち、一旦はマグマの深層まで沈んでいき、12月8日最後の爆発的な噴火によって火山弾となって放出されたのであろう。
今回は大変めずらしい痕跡を見ることができて、もうこれ丈けでも今度の登山は沢山だよ。

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